母の日に寄せて|母に伝えたい「ありがとう」

母の日に寄せて|母に伝えたい「ありがとう」
今回の記事を書くのは、
聴覚障害(人工内耳)のまーりーです。
一人息子がいて、現在育児奮闘中です。
仕事も復帰して育児との両立ができるように頑張っています。
凸凹フレンズのメンバーが「凸凹フレンズ」に入って良かった」と思えるように陰から支えていきます。
まーりー

ありがとう

こんにちは、まーりーです。
本日は母の日ですね。
今日は、私の母とのお話を綴ってみたいと思います。

実は、1年ほど前に母にインタビューをしていたのですが、なかなかブログにすることができず、
このタイミングでようやく、言葉にすることができました。
お母さん、遅くなってごめんなさい。


私が聞こえないとわかったとき、母は…

私は、右耳に人工内耳をつけて生活しています。
でも最初からそうだったわけではありません。
**「この子は聞こえないかもしれない」**とわかったとき、
母はどんな気持ちだったのか――
当時のことを、インタビューで聞きました。

以下はその内容です。


母へのインタビューより

Q. 私が聞こえないとわかったときの心境は?

もう30年前のこと。今とは情報も知識もまるで違っていて、
「目の前が真っ暗」「何も考えられない」っていう感じだった。

「妊娠中に私が悪いことをしたんだろうか」
「どうやってこの子を育てればいいの?」
「両親になんて伝えよう」
「こんなに可愛いのに、耳が聞こえないなんて嘘だ」
「普通に産んであげられなくてごめんね」――

本当にすごく落ち込んだよ。でも立ち上がるのも早かった。
すぐに「何ができるか」を考えて、調べて、行動に移した。


Q. 聞こえない子どもを育てる不安はありましたか?

もちろん。不安だらけだったよ。
耳が聞こえない人に会ったこともなかったし、何もかも手探りだった。

今思えば、職場に耳の悪い同期がいたんだけど、当時は全然知識がなくて、
「変なしゃべり方の子だな」っていう印象しかなかった。

だから、自分の子どもがそうなるなんて、まったく想像もできなかったよ。


Q. 聞こえる子どもだったら良かったと思ったことは?

「聞こえる子も育ててみたかったな」と思ったことはあるよ。
一人っ子だったから、比べようもないけど。

でも、「まーりーが聞こえる子だったら良かった」とは思わなかった。
聞こえても聞こえなくても、どんな子育ても大変なんだってわかったから。

まーりーは体が丈夫で病気もしなかったし、楽だったなあって思ってるよ。


Q. これからまーりーにどんなふうに生きていってほしい?

「聞こえる」「聞こえない」はもう関係ないと思う。

自分の持って生まれたものを受け入れて、その上で能力を活かして、
他人を思いやって、後悔しない人生を生きていってほしいな。


Q. もし、今後聞こえるようになる治療ができたら受けてほしい?

それはまーりーが考えればいい。私は希望はないし、任せるよ。


私が今、母に伝えたいこと

今の私がいるのは、全部母のおかげです。
私が言葉を話せるようになったのも、母と一緒にたくさん訓練をしてきたからだと聞いています。

聴こえないことだけでなく、きっと母には色んな心配や苦労があったはずです。
それでもすべてを受け入れて育ててくれたこと、本当に感謝しています。


兄弟がいなかった理由と、一人っ子でよかったと思うこと

母から聞いた話では、**「聴こえない子がいる場合、兄弟は作らない方が良い」**と医師から言われたそうです。
そのために、私は一人っ子になりました。

正直、兄弟がいたら性格も家庭の雰囲気も少し違ったのかなと思うこともあります。
でも、一人っ子でよかったと感じることもたくさんあって、
今の私の在り方をつくってくれたのはこの家庭環境なんだなと思います。


息子の存在が親孝行になったかもしれない

私の息子は、聴こえます。
聴こえる息子と母(祖母)が一緒に遊んでいる様子を見るたびに、
母は、初めて「聴こえる子の成長」を間近で体験しているのだと思います。

きっと、またいろいろな想いを感じてくれているんじゃないかな。
孫を見せることができたことは、私なりのひとつの親孝行だったかもしれません。


これからも、元気でいてね

今、私は実家とは別の場所に住んでいます。
電車で2時間くらいの距離。少し遠いけれど、会いに行こうと思えば行ける距離です。

たまには息子と一緒に、母とどこかへ遊びに行きたいな。
時間が経っても、あたたかい思い出を作っていきたいです。


お母さんへ

今まで私を育ててくれて、本当にありがとう。
これからも健康に気をつけて、あなたの人生をめいっぱい楽しんでね。
そして、これからも、息子とたくさん遊んであげてください。