音のある世界と無音の世界 どちらも私にとって大切な場所
- 2025.05.13
- 凸凹のつぶやき
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音のある世界と無音の世界|どちらも私にとって大切な場所
こんにちは、まーりーです。
先日、「人工内耳は24時間つけているわけではありません」というブログを書きましたが、
今回は、私が「音のある世界」と「無音の世界」を行き来するときに感じていることを綴ってみたいと思います。
「音のある世界」は、人とつながるための世界
人工内耳を装用しているとき、私は「音のある世界」にいます。
人と話すとき、周囲の音を聴き取るとき、
この音のある世界は、私にとって欠かせないものです。
声が聴こえるからこそ、相手の話を理解することができる。
でも、たとえば電車や建物の中で流れるアナウンスは、
そのときの状況や音量によっては聴き取れないことが多いです。
それでも、**「あ、今なにかが起きたんだな」**と察することができる音たちは、
やっぱり私にとって「必要な音」なのだと思います。
音楽もそうです。
歌詞をすべて聴き取ることは難しいけれど、
メロディーが流れているだけで、気持ちがふわっと軽くなったり、癒されたりすることがあります。
音楽は“聴こえる音”というより、“感じる音”。
それもまた、私にとって大切な「音のある世界」の一部です。
「無音の世界」は、自分に戻れる場所
一方で、人工内耳を外しているとき、私は「無音の世界」にいます。
たとえば寝るとき。
人工内耳を外し、部屋を暗くしてからでないと、私はぐっすり眠れません。
以前、人工内耳をつけたまま灯りを消して寝てみたことがありました。
でも音が気になって、まったく眠れませんでした。
また、お風呂やプールに入るときも人工内耳を外します。
機械なので水に濡れると故障の原因になるためです。
防水グッズもあるけれど、私は外した方が安心だと感じています。
それから、勉強に集中したいときや、
ちょっと一人になりたいとき、
静かな場所で落ち着きたいとき――
そんなときにも私は自分の意志で、無音の世界に入ることがあります。
「音のない世界」は、私にとって“静けさ”であり“安定”でもあります。
でも、「突然の無音」は怖い
自分の意志で無音の世界に入るときは、怖くありません。
でも、人工内耳の電池が予期せず切れそうになったときや、
予備を持っていないときに突然聴こえなくなったときは、すごく焦ります。
聴こえないことで周囲の変化に気づけない。
何が起きているかわからない。
その「見えない不安」に襲われるような感覚があります。
私は無音の世界に慣れているけれど、
それでも“突然の無音”は不安になることがあるのです。
もしかしたら、こう思う人もいるかもしれません
このブログを読んで、
「人工内耳を自分から外すなんて、怖くないの?」
「音が聴こえるなら、つけていた方がいいんじゃないの?」
「聴こえない人が“静かな世界”に入るなんて贅沢じゃないの?」
――そう感じる方も、もしかしたらいるかもしれません。
でも、私にとっては、
音のある世界も、無音の世界も、どちらも生きていく上で不可欠なものです。
一方があるから、もう一方の大切さがわかる。
「全部聴こえなくてもいい」わけでもないし、
「ずっと聴こえていなきゃダメ」でもない。
私にとって必要なのは、“そのときの私”に合った世界に身を置くことなんです。
最後に
今日は、「音のある世界」と「無音の世界」を往来する日常の中で、
私が感じていることを綴ってみました。
またいつか、この2つの世界があることについて、
もっと深く書いてみたいと思っています。
読んでくださって、ありがとうございました。
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