母と私|また一緒に笑い合える日を目指して

母と私|また一緒に笑い合える日を目指して
今回の記事を書くのは、
発達障害(ASD・ADHD・双極性障害)のみったんです。
凸凹フレンズの代表をしています。
趣味は歌、ギター、知識を増やすこと、たくさん笑うことです。

みったん

大切に育ててもらった子ども時代

私は、子どもの頃、とても大切に育ててもらいました。
毎日ママと一緒に公園へ行き、たくさん遊びました。

小学生のころ、ママはフルタイムで働いていたので、夕方から夜までは妹と二人で過ごすことが多かったです。
ママが帰ってこないからこその楽しさがあって、
妹とテレビを見ながら笑い合った時間は、私にとって大切な思い出になっています。

今でも、昔の動画を見返すと、
**「本当に大切に育ててもらったんだな」**と実感します。
記憶は小さい頃の微かなものしかありませんが、あたたかさは確かに心に残っています。


思春期のすれ違いと、傷ついた言葉

思春期の私は、発達障害があり、
常識では考えられない行動をしてしまうことも多くありました。

女の子同士で相談し合うような話を、私は親に話してしまい、
そのときママから
「そんなこと普通親に相談しないよね?」
と言われました。

「普通じゃないの?」
そう思った瞬間、とても傷つきました。

躁状態のときは、ママやパパにたくさん迷惑をかけました。
特にママは、長年続けてきた正社員の仕事を、私の影響もあり、54歳ごろに辞めることになりました。

「実優のせいで辞めることになった」と言われたとき、
胸が締めつけられるように悲しかったです。


嫌われたくないという気持ち

寛解期に入り、病状が落ち着いた今も、
私は、ママに嫌われているんじゃないかと不安になることがあります。

ママに、私が躁状態だったころの具体的なエピソードを何度も話されることがあり、
「本当に大変だった」「辛くて苦しかった」「自分の娘がこんなことをしてくるなんてと思った」
そう言われるたびに、胸が痛みます。

やっぱり、嫌われてしまったんじゃないか――
そんな思いが頭をよぎることもあります。


今、そしてこれから

今は、週に一度、実家に泊まりに行っています。
前よりも少し、仲良くなれてきた気がしています。

とはいえ、過去のことを責められるときには胸が痛みます。
でも、迷惑をかけた事実がある以上、それは仕方のないことだと受け止めるようにしています。

それでも私は、
また昔みたいに、自然に笑い合える日が来たらいいなと、心から願っています。


テニスについての想い

実は、私とママは、大学時代、同じテニスサークルに所属していました。
でも、これまで一度もママとテニスボールを打ち合ったことはありません。

ママは、テニスを「自分にとって大切な趣味」だと考えていて、
「娘ともし万が一喧嘩になったら、大切な思い出に傷がつくのが嫌だ」と思っているそうです。

ママがテニスを一緒にやろうとしないのは、
私が迷惑をかけた過去のせいではなく、
ママなりに大切な世界を守りたい気持ちからだと知っています。

その考えを完全に理解できるわけではないけれど、
「ママはそういう人なんだな」と、少しずつ受け止めるようになってきました。

それでも私は、
大好きなママと、一度だけでも、ラケットを交わせたら嬉しいな
そんな気持ちを今も持っています。

同じ大学、同じサークルを選んだあの頃の私の気持ちは、今も変わりません。


感謝と、伝えたいこと

ここまで育ててくれたママに、心から感謝しています。

そして、ママに伝えたいです。

これからの人生、私は私なりに楽しく、頑張って生きるから、どうか安心してほしい。
絶対に、自分にとって幸せな人生を作っていくから。
周りにも迷惑をかけないように、できる限り努力するね。
また、一緒に旅行にも行こうね。


今日は、そんな母への想いを素直に綴ってみました。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。