どんな困難があっても、幸せだったと思える人生を

どんな困難があっても、幸せだったと思える人生を

こんにちは。
私はみったんです。
29歳で、双極性障害・ASD・ADHDを抱えながら働いています。

今は穏やかに暮らしていますが、
ここに至るまでには本当に長くて、苦しい時間がありました。
生きることそのものがつらく、
「もう全部終わらせたい」と思っていた時期もあります。


🏫 中学時代:できる子、でも“少し不思議な子”

昔の私は、勉強も運動も得意でした。
50メートル走は7.2秒。
体育の授業ではいつも前に立つタイプで、
卒業の時には体育優良生徒にも選ばれました。

でも同時に、周りからは「なんか不思議な子」と言われていました。
空気を読むのが苦手で、人の気持ちを想像するのが少し難しかった。
それでも「変わってると思われたくない」と思って、
必死に“普通”を演じていました。

何事にも一生懸命で、とにかく頑張ることが得意な子でした。


🌧 高校・大学、心が削れていった

高校では「頑張るのが当たり前」になり、
無理をしていることにも気づけませんでした。

大学では一見普通に過ごしていたけれど、
心の中はずっとざらついていました。
人が笑っているのを見ると胸の奥が痛くなって、
本当は羨ましいのに、素直にそう思えなくて。
人が幸せそうにしていることを憎んでいた時期もあります。

「どうして自分だけこんなに苦しいんだろう」
そう思いながらも、誰にも言えず、
心の中で負の感情を抱え込んでいました。


🌪 家庭を持ってから、心が崩れていった

社会人になってからも、頑張る癖は抜けませんでした。
それでも何とか日々をこなしていたけれど、
家庭を持ったことがきっかけで心のバランスが崩れていきました。

「ちゃんとした妻でいなきゃ」
「完璧にやらなきゃ」
そう自分を追い込みすぎて、少しずつ壊れていきました。

妊娠を望んで薬を減らしたことがきっかけで、躁状態が始まりました。
判断力がなくなり、散財や人間関係の崩壊、
様々な形で人を傷つけてしまいました。

そのままの勢いで家を飛び出し、新しい一人暮らしの家を契約してしまいました。
自分でも止められないほど現実感を失っていたと思います。

そして、しばらくしてから鬱の波が訪れました。
全てのエネルギーが抜け落ち、ようやく気づきました。
あれは病気の波の中にいた自分だったのだと。

躁の勢いの中で傷つけた人たち、壊してしまった関係。
すぐには立ち直れませんでした。
そして結婚生活は終わりを迎え、私は離婚しました。


🌧 離婚、そして休職

離婚をきっかけに、完全に心が折れました。
自分を責め続け、何もできなくなり、
仕事を続けることも難しくなって、休職しました。

2年間、障害年金を受けながら、
ベッドの上でただ時間だけが過ぎていく日々。
「もう自分の人生は終わった」と思って泣いた夜が何度もありました。

でも、少しずつ回復していく中で、
心の奥に小さな声が生まれました。

「それでも、生きたい」
「もう一度、笑いたい」

その声が、私を今ここに連れてきてくれました。


🌤 少しずつ、穏やかな日々へ

今は実家の近くに暮らし、いつでもサポートを受けられるようにしています。
愛犬の陽(はる)くんと空(そら)くんは、実家にいます。

陽くんは穏やかで絶対怒らないけど、少し頑固でマイペース。
空くんは好奇心旺盛で負けず嫌い。
ふたりがじゃれ合っている姿を見ていると、
不思議と心がやわらかくなります。

「もう誰も傷つけたくない」と思う気持ちが、
この子たちと過ごしてからより一層強くなりました。

苦しみや後悔を繰り返す中で、
“人を大切にしたい”という想いが少しずつ形になっていきました。


🌿 これからの私へ

私はもう、形にはこだわらない。
結婚や成功といった“他人から見える幸せ”ではなく、
心が豊かで穏やかで、人を思いやれる自分でありたい。

焦らず、無理せず、
自分のペースでできることを少しずつ積み重ねていきたい。
それが、私にとっての“前を向く”ということです。


💫 最後に

人生は、思いどおりにならないことのほうが多い。
でも、だからこそ私は願います。

どんな困難があっても、
最後には「それでも幸せだった」と笑える人生を送りたい。

同じように苦しんでいる誰かにも伝えたい。
あなたの中にも、必ず光は残っています。
その光がどんなに小さくても、消えない限り、人生は続けていける。

——私はこれからも前を向いて生きていきます。
自分を大切にしながら、
誰かの心を少しでも温められるように。