仮面の下にあるもの ─ 万作さんの物語を読んで感じたこと
- 2025.10.09
- 凸凹のつぶやき

はじめに
今回の記事を書くのは、発達障害(ASD・ADHD・双極性障害)をもつ、みったんです。 「凸凹フレンズ」の代表をしています。
趣味は歌・ギター・知識を増やすこと・たくさん笑うこと。 このブログでは、自分の凸凹をありのままに言葉にしていきます。
この作品を初めて読んだとき、最初に浮かんだのは 「何これ、世にも奇妙な物語みたい」――そんな率直な一言だった。
けれど読み進めるうちに、その“奇妙さ”の奥にある人間の痛みや優しさが見えてきて、心の奥をぎゅっと掴まれた。 仮面をつけて生きる人々。
見た目の差別をなくすという建前の裏に、感情を抑え、社会に合わせて生きることを強いられる世界。 読めば読むほど、それは“どこか遠い異世界”ではなく、“私たちが生きる現実”のように思えてきた。 ⸻
この作品を書いたのは、凸凹フレンズの万作さん
https://monogatary.com/episode/554169
この作品は、統合失調症を抱える凸凹メンバーの万作さんが書いたもの。
私は双極性障害という、別の凸凹を持っているけれど、読んでいて「わかる」と思う瞬間が何度もあった。
普通の人には“見えない角度”から世界を見ている――その視点が、作品全体に独特の透明感を与えているように感じた。
たとえば「仮面をつけて生きる社会」という設定。 これは、病気だからとか健常だからとか関係なく、私たちみんながどこかで“つけているもの”だと思う。
「優しくいなきゃ」「強く見せなきゃ」「普通でいなきゃ」―― 社会の中で、無意識に自分を隠して生きている。 でも、万作さんの描く仮面はもっと直接的で、息苦しい。
そのリアルさは、心の痛みを知っている人だからこそ書けたものだと感じた。 ⸻
“ひび割れた仮面”に見えた心の痛み
物語の中で印象的なのは、主人公が出会う“薔薇の仮面”の少女・みな。 彼女の仮面には、いくつものひびが入っている。
どれだけ新しく作り直しても、またすぐに割れてしまう。 その描写を読んだとき、胸が痛くなった。
きっと彼女は「自分でない何か」になろうとして、無理を重ねていたのだと思う。
社会の期待、親の願い、人の目。 それらに合わせて生きようとすればするほど、仮面にひびが入ってしまう。
私も、少しだけその感覚がわかる。 双極性障害の波の中で、躁のときは「躁の仮面を外せない私」になり、うつのときは「笑っていなきゃ」と無理をする。
気づけば、自分の“素顔”がどんな顔をしていたか分からなくなる。
万作さんの描く“ひびの入った仮面”は、そんな心の痛みの象徴のように見えた。 ⸻
仮面を外すという勇気
物語の終盤で、主人公とみなが仮面を外し、自分の顔を確かめる場面がある。 「本当の顔を見てみたい」と言う彼女の言葉には、深い勇気があった。
でも、主人公が鏡の前で自分の仮面を外したとき、そこには“真っ白な仮面”しかなかった。
この場面は衝撃的だった。
何もない。 自分が誰なのか分からない。
それはまるで、心の空白を覗き込むような瞬間だった。
けれど彼は、そこで終わらない。
絶望の中で、自分の仮面に自分の手で顔を描く。
震える手で、目や口を描いていく。
「何もないなら、自分で描けばいい」―― その言葉には、涙が出そうになった。
それは、他人の評価や社会のルールに頼らず、「自分を定義する力」を取り戻す行為だったと思う。
心の病を抱えている人は、ときどき「自分って何なんだろう」と感じる。
けれど、“自分の顔を描く”というこの行為は、まさに「もう一度、自分を生み出す」ことなのだ。 ⸻
統合失調症という“もう一つの現実”
万作さんの物語には、統合失調症特有の“現実の揺らぎ”が静かに流れている。
たとえば、テレビのニュースで仮面のひび割れが報じられる冒頭。
社会がまるで無機質な機械のように描かれる描写。
どこか現実味がありながらも、夢の中のように感じる世界。
その曖昧さこそ、彼の感じている「現実」なのかもしれない。
幻覚や幻聴を体験する人にとって、世界はときに複数の層で存在する。
私自身もコンサータを72ミリ処方されていた時期、幻聴が聞こえ、現実なのかそうではないかに頭を悩ませたことがあった。
見えているものが真実なのか、頭の中の声なのか、境界が曖昧になる。
この物語も、まさに“二つの世界”の間を漂っている。 けれどそこには絶望だけでなく、繊細な優しさがある。 主人公もみなも、誰かを傷つけたいわけじゃない。
ただ、自分でありたい。 その小さな願いが、物語の中で何度も光る。 ⸻
「仮面の下の自分」は、私たちにもある
読み終えて感じたのは、この作品が「統合失調症の人の物語」ではなく、「すべての人の物語」だということ。
誰もが何かしらの仮面をつけている。 職場での仮面、家庭での仮面、SNSでの仮面。 どんなに健常に見える人でも、心の中では“素顔を見せる怖さ”を抱えて生きている。
だから、万作さんの世界は遠いものではなく、鏡のように私たちの心を映している。 「本当の自分を見せたいけど、怖い」―― その気持ちは、病気の有無を越えて、きっと誰にでもある。 そして、主人公が“自分で描いた笑顔”で生きていくように、私たちもまた、自分で自分を描きながら生きている。
人にどう見られるかよりも、自分がどう生きたいか。 仮面の下にどんな表情があっても、それを受け止めてあげたい。 ⸻
最後に
私は双極性障害という別の病気を抱えているけれど、この物語を読んで「心の病」って、ただのラベルじゃないと改めて感じた。
それは「世界を違う角度から見る力」でもある。 そして、その角度から見えた世界を物語にできる万作さんの感性は、本当に尊い。 仮面の下の自分を描くこと。
それは、凸凹を抱える私たちが生きるということそのものだと思う。 読後、私は鏡の前で自分に問いかけた。 「私の仮面の下には、誰がいるんだろう?」 たぶんまだ答えは出ない。
でも、こうして考え続けることこそが、“自分で顔を描く”という生き方なのかもしれない。
この作品を通して、私は“凸凹のまま生きる美しさ”を改めて感じました。 万作さん、素敵な作品をありがとう。
そして、この物語を読めたことを、同じ凸凹として誇りに思います。
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