人の気持ちがわからない私が、国語で1位だった理由 〜ASDと国語の“矛盾”じゃなくて“独自性”の話〜

人の気持ちがわからない私が、国語で1位だった理由 〜ASDと国語の“矛盾”じゃなくて“独自性”の話〜
今回の記事を書くのは、
発達障害(ASD・ADHD・双極性障害)のみったんです。
凸凹フレンズの代表をしています。
趣味は歌、ギター、知識を増やすこと、たくさん笑うことです。

みったん

人の気持ちがわからない私が、国語で1位だった理由

〜ASDと国語の“矛盾”じゃなくて“独自性”の話〜


「人の表情を読むのが苦手」
──ASD(自閉スペクトラム症)の説明で、よく出てくる言葉。

でも正直、
それが自分に本当に当てはまるのかどうか、私にはよくわからなかった。

だけど、

  • 「人の気持ちがわからない」

  • 「空気が読めてない」

  • 「思っていることと違うふうに伝わってしまう」

そんなことを言われた経験は、何度もあった。

なのに私は、
塾の国語で、ずっと成績1位だった。
記述問題も、抜き出し問題も、得意だった。
駿台模試で冊子に名前が載ったことだってある。

──ねぇ、どうして?

「人の気持ちがわからない」って言われてるのに、
どうして小説の中の人の気持ちは、あんなに読み取れたんだろう?


現実の感情は“流動的でノイズが多い”

現実の世界では、人の気持ちは
表情、声のトーン、沈黙、間、言葉の裏側に隠れている。

でもそれって、私にはものすごく“曖昧”で、
正解がないように感じた。

だから、誤解されたり、傷つけたり、傷ついたり
普通のやりとりの中で、ちょっとした一言の裏を読み違えて、
人間関係がこじれてしまうこともあった。


小説には“ヒント”があるから読めた

小説の中には、「ヒント」が書いてある。

  • 「彼女はうつむいた」

  • 「声を震わせながら言った」

そういう描写があると、私は思う。
**「あ、この人は今、こう感じてるんだな」**って。

たぶん私は、感情を“感覚”じゃなく、“構造”として読み取っていた。
現実のように「今この場で感じて」と言われると分からないけど、
小説のように書き言葉で整理された情報なら、
論理的に、丁寧に、人の気持ちを想像することができた。


共感は“感覚”じゃなく、“理屈”で届いていた

「共感力がない」と言われたこともある。

でも、私はそうは思わない。
感情がゼロなわけじゃない。

ただ、リアルタイムの感情キャッチはすごく苦手で、
逆に、言語情報として整理されていたら、“論理的な共感”ができた。

だから、国語の記述問題で「なぜ登場人物はこうしたのか?」と問われたとき、
私の頭の中では、感情と出来事が“因果関係”としてつながって、
それを丁寧に言葉にできたんだと思う。

それが、私が国語で高得点をとれていた理由だった。


最後に

ASDだからこそ、
“空気を読む”のは苦手かもしれない。

でも、“言葉で整理された世界”の中では、
誰よりも深く、誰よりも繊細に、人の気持ちを考えることができる。

それが、私の「国語1位」の理由だったのかもしれない。

「ASDなのに国語が得意」──
それは矛盾じゃない。
ただ、“読み方が違う”だけだったんだ。