波瀾万丈なくるりんLIFE~発達障害の女児のサバイバル~

波瀾万丈なくるりんLIFE~発達障害の女児のサバイバル~

今回の記事を書くのは、

発達障害(ADHD・ASD・LD・吃音)のくるりんです。

デザインを学んでいる現役大学生で絶賛就活中です。

障害の有無を気にしなくていい、そんなインクルーシブな社会を目指して日々研鑽しています!

はじめまして! くるりんです(^o^)

挨拶

初めまして、くるりんです!

私は2000年に女の子として生まれ、それはそれは大事に育てられました。だけどそんなに順調に人生を歩んできたわけではありません。今回は初めての記事ということで自己紹介をメインにまとめていきたいと思います!

生い立ちと幼少期

冒頭でも述べた通り2000年生まれのくるりんはそれはそれは大事に育てられました。教育熱心な両親はくるりんの意思に関係なく保育園や幼稚園の転園を繰り返しました。そのおかげか、幼馴染と言える存在が作れず… というのは今の私の愚痴ですが、とにかく両親はくるりんを素晴らしい人間に育てたかったみたいです。そこでくるりんの両親は私を地元の超有名国立大学附属の小学校に入れることにしました。

小学校時代

幼い頃から知識欲が旺盛だったくるりんは沢山の本を読んで知識を身につけていたので、小学校受験はほとんど対策しなかったと記憶しています。(忘れてるだけかもしれないけど笑)

そうして無事に入学してエリート人生に一直線!!!といけばよかったのですが、なんとくるりんはとんでもなく物忘れが多かったのです。

 

ランドセルの中にはクシャクシャになったいつのか分からないプリントがいつも入っていましたし、宿題を連絡帳にメモするのを忘れて宿題の範囲を勘ですすめていたら進みすぎて怒られたこともありました。低学年のうちはそれでも周りとあまり差がなく、むしろ勉強ができる方だったので優等生でした。

でもそんなまま高学年になってしまったものだからもう大変。めちゃくちゃな問題児に変わり果ててしまいました。私は何にも変わっていないのに、環境が変化した影響で評価がガタンと落ちたのです。おかしな話です。これは後に私がデザインを勉強しようと思うようになるきっかけの一つでもあります。

中学校は地元の公立に

エリート集団の中で常に先生たち大人から期待されるのに応えられない自分に嫌気がさした私は、中学は地元の普通の公立学校に通うことにしました。実はいくつかの私立や国立の中学から特待生の枠をオファーされていましたが、その時点で自分は同級生と比べて劣っている部分があると自覚していたので断ったのです。

潰れる前に脱出成功!これからまたやり直せるぞと中学生活を楽しみにしていました。

ですが思っていたようにはいかなかったのです。

波瀾万丈すぎる人生!?

まだ中学生の始まりまでを振り返っただけですが今回はここまでにしたいと思います。

ここまで読んでくださった方ならもうお気づきかもしれませんが私には発達障害があります。ADHD(注意欠陥多動性障害)とASD(自閉症)それとLD(学習障害)です。あとは喋る時に言葉がスムーズに出てこない吃音という症状もあります。

これらの障害の特性として過集中というものがあります。過集中というのはくるりんの感覚で説明すると、普段どこかにお出かけしている集中力がある特定の場面になると急に現れて何時間も帰ってくれない感じです。そんなわけで、この記事を書こうと決めてから2時間トイレに行くのを忘れていたのをキリの良い中学時代の始まりまで書いたところで思い出しました。(それに気づいたらめっちゃトイレに行きたい気がしてきた…)

まだまだくるりんのその後が気になるよ〜という方は次の記事を待っていてくださると嬉しいです!

コメントで詳しく知りたいところなどや応援のメッセージをいただけると励みになります。




ではまた〜👋