双極性障害・ASD・ADHDと生きる|離婚・休職を経て見つけた幸せ

Mittan 凸凹のつぶやき

こんにちは。
私はみったんです。
29歳で、双極性障害・ASD・ADHDを抱えながら働いています。

今は穏やかに暮らしていますが、
ここに至るまでには本当に長くて、苦しい時間がありました。
生きることそのものがつらく、
「もう全部終わらせたい」と思っていた時期もあります。

この記事は、双極性障害の体験談として、私がこれまで経験してきたことを綴ったものです。

ASD・ADHDの特性による生きづらさ、双極性障害の躁状態、離婚、休職。そして、少しずつ穏やかな日常を取り戻すまでの道のりをお話しします。


ASD・ADHDの特性を感じていた中学時代

昔の私は、勉強も運動も得意でした。
50メートル走は7.2秒。
体育の授業ではいつも前に立つタイプで、
卒業の時には体育優良生徒にも選ばれました。

でも同時に、周りからは「なんか不思議な子」と言われていました。
空気を読むのが苦手で、人の気持ちを想像するのが少し難しかった。
それでも「変わってると思われたくない」と思って、
必死に“普通”を演じていました。

何事にも一生懸命で、とにかく頑張ることが得意な子でした。


高校・大学時代|無理を重ねていた私

高校では「頑張るのが当たり前」になり、
無理をしていることにも気づけませんでした。

大学では一見普通に過ごしていたけれど、
心の中はずっとざらついていました。
人が笑っているのを見ると胸の奥が痛くなって、
本当は羨ましいのに、素直にそう思えなくて。
人が幸せそうにしていることを憎んでいた時期もあります。

「どうして自分だけこんなに苦しいんだろう」
そう思いながらも、誰にも言えず、
心の中で負の感情を抱え込んでいました。


双極性障害の体験談|離婚、そして休職

社会人になってからも、頑張る癖は抜けませんでした。
それでも何とか日々をこなしていたけれど、
家庭を持ったことがきっかけで心のバランスが崩れていきました。

※双極性障害の躁状態やうつ状態について詳しく知りたい方は、厚生労働省「こころの耳|双極性障害」も参考にしてください。

「ちゃんとした妻でいなきゃ」
「完璧にやらなきゃ」
そう自分を追い込みすぎて、少しずつ壊れていきました。

妊娠を望んで薬を減らしたことがきっかけで、躁状態が始まりました。
判断力がなくなり、散財や人間関係の崩壊、
様々な形で人を傷つけてしまいました。

そのままの勢いで家を飛び出し、新しい一人暮らしの家を契約してしまいました。
自分でも止められないほど現実感を失っていたと思います。

そして、しばらくしてから鬱の波が訪れました。
全てのエネルギーが抜け落ち、ようやく気づきました。
あれは病気の波の中にいた自分だったのだと。

躁の勢いの中で傷つけた人たち、壊してしまった関係。
すぐには立ち直れませんでした。
そして結婚生活は終わりを迎え、私は離婚しました。


双極性障害による休職と障害年金を受けた2年間

離婚をきっかけに、完全に心が折れました。
自分を責め続け、何もできなくなり、
仕事を続けることも難しくなって、休職しました。

2年間、障害年金を受けながら、
ベッドの上でただ時間だけが過ぎていく日々。
「もう自分の人生は終わった」と思って泣いた夜が何度もありました。

でも、少しずつ回復していく中で、
心の奥に小さな声が生まれました。

「それでも、生きたい」
「もう一度、笑いたい」

その声が、私を今ここに連れてきてくれました。

※障害年金の制度や受給条件については、日本年金機構「障害年金」で詳しく確認できます。


休職からの回復と穏やかな日常

今は実家の近くに暮らし、いつでもサポートを受けられるようにしています。
愛犬の陽(はる)くんと空(そら)くんは、実家にいます。

陽くんは穏やかで絶対怒らないけど、少し頑固でマイペース。
空くんは好奇心旺盛で負けず嫌い。
ふたりがじゃれ合っている姿を見ていると、
不思議と心がやわらかくなります。

「もう誰も傷つけたくない」と思う気持ちが、
この子たちと過ごしてからより一層強くなりました。

苦しみや後悔を繰り返す中で、
“人を大切にしたい”という想いが少しずつ形になっていきました。


双極性障害・ASD・ADHDと生きるこれから

私はもう、形にはこだわらない。
結婚や成功といった“他人から見える幸せ”ではなく、
心が豊かで穏やかで、人を思いやれる自分でありたい。

焦らず、無理せず、
自分のペースでできることを少しずつ積み重ねていきたい。
それが、私にとっての“前を向く”ということです。


どんな困難があっても、幸せだったと思える人生を

ここまで双極性障害の体験談を書いてきましたが、今の私は少しずつ穏やかな生活を取り戻しています。

人生は、思いどおりにならないことのほうが多い。
でも、だからこそ私は願います。

どんな困難があっても、
最後には「それでも幸せだった」と笑える人生を送りたい。

同じように苦しんでいる誰かにも伝えたい。
あなたの中にも、必ず光は残っています。
その光がどんなに小さくても、消えない限り、人生は続けていける。

——私はこれからも前を向いて生きていきます。
自分を大切にしながら、
誰かの心を少しでも温められるように。

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